しょういち家頁

文末につれむんずかしうなるっス法則。


(昨日のお話で、そうですか、なるほどと思いましたんは、まあまあ今更ながらのお話なのでありますが、「言葉」と「文字」は別物ですよーちうこと、口述、話すゆうことと、筆記、書くということ、会話をして意志の疎通を図りますよーゆうことと、文字を書いて記録を残しますよーゆうことは、まったくの別物でありますことよとゆう、こうして書くと当たり前なんスけどもー。)


 こんばんは。


先史時代 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
定義
 定義において文書記録が無いとされる先史時代は、それを取り扱う際に時代の見極めが特に重要
 しかしはっきりとそれを断定できる手法は19世紀になるまで開発されず
 そのため、初期の先史時代研究は、発掘・地質および地理調査・自然や文字を持たない民族の習慣を分析するなどの、考古学や形質論的人類学に頼らざるを得なかった
 また、遺伝学者による人口分布や歴史的な言語学もこの研究に見識を提供
 文化人類学は婚姻や貿易の起源や波及の様子を知らしめ、先史時代の人類がどのような文化背景の中にあったかについて豊富な情報を提供
 この他にも、古生物学、生物学、花粉学、天文考古学、比較言語学、人類学、分子遺伝学など多くの自然科学・社会科学が先史時代分析に情報をもたらした

 先史時代における人類の歴史は、記録された編年的歴史だけでは判断することは不可能であり、もっぱら遺跡や遺物などの発掘を通じた考古文化的分析から得ることになる

 先史時代の終わりについても、有意な学術的歴史記録が発生する時期という点で見る限り、地域ごとに異なってくる
 例えば、エジプトは紀元前3200年頃には記録が作られ始めるために先史時代は終焉したと言えるが、
 ニューギニア島は同様の意味では紀元後の1900年前後に先史時代を終えたと言わざるを得なくなる
 アメリカ大陸についても、以前はクリストファー・コロンブスによる発見以前を「先史時代」と扱うこともあった

 アウグスト・シュライヒャーとフリードリヒ・マックス・ミュラーは言語学の観点から先史時代と有史時代を区分
 先史時代の言語とは単独の音節を並べるような状態から膠着や屈折などの形態を持つに至る段階であり、これが権力の発生とともに文法の整理など共通言語としての体裁が整いつつ文字言語が成立した
 マラメルによると、これらは人間集団の知性が言語に及ぼす変化について、法則的に説明する試み


(ぷひぃー。とん、とん。)

読み物として気軽にしやーす。


 そしてありがとうございまーす。こんばんは。


先史時代 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
概要
 対象範囲は、定義に忠実ならば宇宙開闢以来の時間範囲が該当
 しかし一般的には地球上で生命誕生が起こってからの時代が取扱われ、特に人類が出現してから以降と捉えられることが多い
 この人類発祥後の時代は三時代法というそれぞれの時に使われた主要な道具類の種類に基づく石器時代(旧石器時代、新石器時代)、青銅器時代、鉄器時代という連続した時間ごとの時代区分が用いられ、
 それ以前は地層が形成された時期を元とした層位学的地質記録に基づいて地質時代単位で分けられる
 ただし、マカリスターなどは石器時代に先行する加工性に優れる木材を利用した木器時代を提唱し、
 また人類史において道具を使わない時代も想定
 また、新石器時代と青銅器時代の間に銅器時代が入る場合もある

 「先史時代」と「歴史時代」を明瞭に区別する基準は、その時期に記された文献の存在有無による
 文字が初めて用いられたのは地域によって異なるが青銅器時代後期から鉄器時代中期の頃と分析されており、この時期から地域的な有史時代が始まる
 しかし、先史時代と有史時代との間には神話や伝承など口述記録が伝える「原史時代」または「中間時代(Intermediate Age)」 も置かれる
 そのため、歴史家は文字記録だけに頼らず、考古学に代表される自然科学や社会学的分析を取り入れて、太古の歴史に対する解析を行う


(ぷひぃー。とん、とん。)

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こんな展開も楽しからずやー。


(えーと、あれ、あれれ、あんのー、質問なんスけどもーな-んで「先史時代」ゆう項目を引っ張ってこさせてもらいますーゆう流れに、はて、どうしてそうなったんでしたっけねーとかなんとかーうへへへへー。)


 こんばんは。


先史時代 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
 先史時代(英: Prehistory、羅: præ=の前 + 希: ιστορία=歴史)は、「歴史時代(有史時代)」以前の歴史の時代区分に当たり、文字使用前の人類の歴史

 1838年にスウェーデンのスヴェン・ニルソンが著した『Skandinaviska Nordens Urivanare,Lund (北欧スカンディナヴィアの原住民)』において用語「forhistoria (先史)」を用い、
 1851年にダニエル・ウィルソンが『The Archaeology and Prehistoric Annals of Scotland (スコットランドの考古学と先史時代の年代)』で英語圏に紹介し、
 1865年にジョン・ラボックが『Pre-historic Times (先史時代)』を発表して以来、英語の単語として「prehistoric」が広く使われた。


(てなこって冒頭からー、しかし「歴史時代以前の歴史の時代区分」ゆうてー、なんだかへんてこなー、そうとも思える表現ですねーありがとう存じますー。)


(ぷひぃー。とん、とん。)

つれづれ書きましたらながーく。


(えー、昨日の文末の、自分でもようわかっちゃいませぬ質問は、ああ、そうか、こーゆーことかも知れませぬーと思いつきましたんは、「定住」と人口増加の関わりについて、かも知れませぬと思いました、するとまーんず川沿いに住むことになりますんで、ええ、たいていの場合にそうですよね、すると今度は洪水の被害のお話になったり、なんとかしてコントロールせにゃーとなったり、あるいは、ちょうどほどよい程度の軽い洪水であれば、土地が肥沃(ひよく)んなって作物がよう育ってくれてよろしおすーと、とまあそんな「ちょうどの程よさ」のお話になりましたりで、あ、あと、この国の「縄文文化」が、農耕や家畜のお世話んなる前に「定住」できはじめましたんはどうしてでせうかーとする疑問や、ええ、これらのでっけえテーマ、もしかすっと、いや、もしかせずともライフワークゆうことでしてー、ああーこんなけを書くだけでもー疲れてもうたー。)


 こんばんは。


先史時代 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
先史時代の人類史(再掲っス。ありがとうございます。)
青銅器時代
4000年前:農耕の普及により人類の人口が推計8700万人に達する
3700年前:楔形文字が発明され、文字記録が始まる


(本日はこればかりを、「文字」の発明ゆうんは、やっぱり「農耕」の後になるんかしらんのーと思いまして、「農耕」がはじまり、「定住」して集まって暮らすように、するってーと食料の量が増え、保存ができるようになりまして、記録に残す必要が生じまして「文字」を発明しました、こんな流れんなるんかーと思ったんですが、するってーと、それより前の、はるかに遡った昔に描いた壁の壁画ゆうんは、流れがまるっきり違いまして、ほう、すると「絵画」と「文字」は、似ているようでぜーんぜん別物っスーとなるのか、いやいやそうとは言えお隣さんですよとなりますのか、いま書いていて気付きましたが、ほら、「絵画」が創造で右脳、「文字」は論理で左脳、や、やいやいやいーそんな短絡的に二項対立っぽく語るんは危険だべさーようようようー、なんぞと、あの、批判や非難などありませぬ、なんらかのきっかけにでもなりますれば、さーせんー。)


(ぷひぃー。とん、とん。)

えー、6千年で、えー。


先史時代 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
先史時代の人類史(続き、抜粋っス。ありがとうございます。)

中石器時代
10,000年前:人類の人口が推計500万人に達する

新石器時代
8000年前から7,000年前:
現代のイラク北部に当たるメソポタミア北域で農耕が始まる
栽培されたものはオオムギやコムギ。当初はビールやグルーアル(粥)またはスープに調理され、後にパンが作られた
当時の初期農耕では耕作において棒がよく用いられたが、やがて数世紀後には原始的なプラウに取って代わった
エリコに周囲8.5m、高さ8.5mの円筒型石塔が築かれたのもこの時期


(うわあ。農耕がはじまったんは、そうと確認できますのんは、場所はまずはメソポタミアだったんスよーということでせうか。そうして、パンの前につくられたものがあったんスねーと。て、思えば、俺にゃー「中石器」なるものがようわかりませぬが、それを言われますとじゃあ「新石器」は何が新しいのかとなりますが、それもようわかっちゃいませぬが、あああーようしうさーせん-。)


青銅器時代
4000年前:農耕の普及により人類の人口が推計8700万人に達する
3700年前:楔形文字が発明され、文字記録が始まる
3000年前:ストーンヘンジの建造が始まる。初期のそれは、56本の木製の柱と円形の溝や傾斜で築かれたものだった


(ああ。4000年前に、すると紀元前2000年ですか、このころまでに人類人口がこれだけになりましたーゆうことを、「農耕」の技術っちゃーすごいと、人口を増やすと言う意味ですごい高効率だーと思ふ、それとも、まあまあ「農耕」という技術がなくとも、生物ゆうんは自然に増えるものなのですよと、気候が適してて食べ物が豊富にありますれば、ということなんか、あああーすみませぬー自分で書いてましても質問の意図がようわかりませぬーさーせんー。)


(ぷひぃー。とん、とん。)

さむすぎたりあつすぎたりー。


(ええーっと、たっしか、えーっと、あ、ありましたですーうへへー。)


 こんばんは。


Y染色体ハプログループ(抜粋っス。)出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』

 男性で遺伝するY染色体のハプログループ(=ハプロタイプの集団)のこと

概要
 Y染色体の最新共通祖先 (Y-MRCA、非公式にはY 染色体 Adamとして知られている) は、現在生きているすべての人間が父系で子孫を残した最新共通祖先 (MRCA )

 Y染色体を持つアダムは、およそ 236,000年前にアフリカに住んでいたと推定
 他のボトルネックを調べると、ほとんどのユーラシア人男性 (アフリカ以外の人口からの男性) は、69,000年前にアフリカに住んでいた男性 ( Haplogroup_CT ) の子孫
 他の主要なボトルネックは約5万年前と5千年前に発生し、その後、ほとんどのユーラシア人の祖先は、5万年前に生きていた4 人の祖先に遡ることができた
 彼らはアフリカ人の子孫だった (E-M168)


(えー、そしてここ数日のものと、さらに以前の抜き出し(※9月20日。こいつはもちろん俺備忘録メモ。)なんぞをー。)


930,000年前:寒冷化。人類の人口が激減し、1万3千人以下に?
300,000年前:人類の人口が推計100万人に達する
75,000年前:トバ火山大噴火(トバ・カタストロフ理論)(俺注:人類の人口が1万人以下に?)
58,000年前:ヘリコバクター・ピロリ菌拡散
10,000年前:人類の人口が推計500万人に達する
1804年:人類の人口が10億人に達する
1927年:人類の人口が20億人に達する
2025年:人類の人口が83億人に達する


(ぷひぃー。とん、とん。)

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あれこれするだけでぷひひひひぃー。


先史時代 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
先史時代の人類史(続き、抜粋っス。ありがとうございます。)

後期旧石器時代
32,000年前:オーリニャック文化がヨーロッパで発生
30,000年前から28,000年前:フランスのヴェゼール渓谷で、トナカイの狩猟が行われた。(ヴェゼール渓谷の先史的景観と装飾洞窟群)
28,500年前:アジアもしくはオーストラリアを経由して、人類がニューギニア島へ到達
28,000年前から20,000年前:ヨーロッパでグラヴェット文化が起り、銛、針、鋸が発明
26,000年前から24,000年前:繊維の利用が広がり、籠や衣類、袋、籠、網や女性が用いたベビーキャリーなどが作られた
25,000年前から23,000年前:チェコ、モラヴィアのドルニ・ヴィエストニッツェ遺跡から非常に古い土偶が発見。主に粘土を焼いて製作されたもの。発見された人類最古の定住を示す証拠と目されている
20,000年前から18,000年前:フランスでシャテルペロン文化が興る
16,000年前から14,000年前:フランス、ピレネー山脈のテュク・ドドゥベール洞窟にて、ヨーロッパバイソンを描いた洞窟壁画が発見
14,800年前から12,800年前:北アフリカ気候が湿潤期となった。後に乾燥してサハラ砂漠となった地域は、当時水が豊富かつ肥沃であり、帯水層で満たされた
13,000年前:
北東アジアで土器の製作が始まった
グリーンランドの氷床に巨大隕石が衝突し融解、恐らくエンケ彗星由来の可能性。そしてヤンガードリアス期が始まり、北米で動物が大量絶滅し、インディアンのクローヴィス文化も消滅。巨大クレーターは氷床に埋まってしまう。遠くにも巨大クレーターが発見

中石器時代
10,000年前:人類の人口が推計500万人に達する


(ぷひぃー。とん、とん。)

こんな展開など、書き始めるまで思わず。


(それにしましても、やっぱり気になる「ネアンデルタール人」、ああそうそう、こんなお話を思い出しましたよ、うへへ、このすばらしき「ネアンデルタール人」が残念なことに絶滅してしまった理由、さまざまな説がありましたが、ええ、たくさんあったように思うのですが、そんな中からふるいにかけるなどし、現在ではほぼ固まっているのでせうか、よう存じませぬ、さーせん、なかでも印象的だったのが、もう消えてしまった仮設だったのせう(訂正:「せう」を削除、しやーす。)か、今では聞くことがありませぬが、その仮説はと申しますと、頭がでっかくなりすぎましたーゆう説でして、そうなんです、赤ん坊の頭が見事に大きくなりすぎてしまい、難産ばかりになってしまい、母体への負担や危険があまりにもでかくなってしまいました、これが原因なのですとする説がありまして、えええーほんとスかそうなんスかーと、俺は衝撃を受けた、ですんで今も憶えている次第なのです、はい、けど、今こうして改めて書いてみますと、それを聞いたときは「えええー」と、どうやら眉につばをちょろりと、ええ、胡散臭いにほひを、ちなみに大好物ですが、ですがまあ、そんなにほひを嗅ぎ取ったものでしたが、思えばですね、シカのでかすぎる角ですとか、サイなどの立派になりすぎました牙ですとか、そんな例はいくらでもありますよね、有利不利など関わらずにどしどしでっかくなる例がたくさんあるでねーですか、それを思えば、この説だって決して無きにしも非ずなんかもなーと、ええ、今あらためて思いました、そしてごちそうさまっスー。)


(ぷひぃー。とん、とん。)

単位が「万年」ス。


(この当時のこの国の人口っちゃー、密度はめっぽう低かったことでせうと申しましたが、ほんじゃあーどのくらいでしたんかなーと、ふと思い立ち、そんなんあるかしらんと調べましたところ、こんなん出ましたけどー。)


 こんばんは。


先史時代 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
先史時代の人類史
 すべての年代表記は、人類学、考古学、遺伝学、地質学や言語学から推測

旧石器時代・中石器時代
120,000年前:解剖学的に現代人と言えるホモ・サピエンスがアフリカで誕生
300,000年前:人類の人口が推計100万人に達する
300,000年前から30,000年前:ネアンデルタール人のムスティエ文化がヨーロッパで発生
75,000年前:トバ火山大噴火(トバ・カタストロフ理論)
70,000年前から50,000年前:ホモ・サピエンスがアフリカからアジアに拡がる。次の1000年間に、この人類の子孫に当たる集団の居住域は南インド、マレー諸島、オーストラリア、日本、中国、シベリア、アラスカそして北アメリカ北西部まで広がった


(うへえ。そうでしたね。トバ火山の噴火もありましたですね。んで、とりあえず30万年前、ふーん、「ホモ・サピエンス」の前の種だったのかなとも存じますが、そんなご先祖のご先祖さまらが、全世界で100万人、これが約30万年前、これが現在83億人、ぷひいー。えーと、何倍だ、何倍になりますかなー。)


(ぷひぃー。とん、とん。)

そうしてみとうぞんじますればー。


(さむいんスよー。)


 こんばんは。


最終氷期(※抜粋っス。) 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
 最終氷期(英: Last Glacial Period)とは、およそ7万年前に始まって1万年前に終了した一番新しい氷期のこと
 氷期の中でも地質学的、地理学的、気候学的に最も詳しく研究されており、気温や、大気・海洋の状態、海水準低下により変化した海岸線など緻密な復元が進んでいる

名称
 俗に「氷河期」という言葉を使うときはこの時代を指すことが多い
 地域によってヴュルム氷期、ウィスコンシン氷期と呼び分ける
 最も氷床が拡大したおよそ2.1万年前を最終氷期の最寒冷期(最終氷期最盛期、Last Glacial Maximum、LGM)と呼ぶ


(うへえ。てなこって、三万五千年前いいましたら、この「最終氷期」どまんなかー、しかも最盛期に向かってる最中ちうことでよろしうー。そしてそしてー、じっくりとみていきまっせうー。)


(ぷひぃー。とん、とん。)

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♪んごごごご(※ふへへへへー。)


(時は、三万五千年前なりよー。)


 こんばんは。


(ええ、とりあえず、三万五千年前にゃー、ホモ・サピエンスがここ、後の日本ちゅーところにいたんですよーっちゅーて、教えてもろたさかい(※どこ弁。)、とりあえずそーゆーことにしときまひょ。よろしうつかーさい。んでもって、ですから、あなたや俺のご先祖さまが、ご先祖さまらが、ぞろぞろと、いや、人口密度は限りのう少なかったからでせうから、「ぞろぞろ」でのーて「そろっ、そろっ」くらいでよろしうつかーさい。んでもって、格好はどんなでせうか、やっぱりあれでせうか、毛皮の、牛さんとか鹿さんの毛皮の、もふもふの、片っぽの肩にひっかける感じの、ええ、そうなんスよ、なんせあれです、当時のこの地は、まあまあまあ、とってもとっても、とてつもなく、とほうもなく、

さむいんスよー。)


(ぷひぃー。とん、とん。)

♪ごごごごご(※効果音。だいぶ久しぶり。)


(あ、なんの効果音かーちゅーて、壮大な物語のはじまりスよちゅーてー。)


 こんばんは。


(時は、時は、あれ、えーと、ちょっと待ってください、えーと、えー、うわ、あれれ、ああそうか、そうスか、そんなんでせうか、ふんむうー。)


現生人類の拡散(※抜粋ス。) 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
 ホモ・サピエンスが世界各地へ拡散した経緯について述べる。なおそれに先立ち旧人類も各地へ拡散していた

 ホモ・サピエンスが誕生し、移動を始めたのはおおよそ30万年前
 アフリカ単一起源説では、おおよそ7万年前から5万年前に東アフリカを発ったホモ・サピエンスが現世人類の祖
 現生人類がアフリカを出てアジア南沿岸経由で近オセアニア地域への移動を始めたのがおおよそ7万年から5万年前
 約4万年前までにヨーロッパ中に分散した

東アジアや北アジアへの拡散
 ミトコンドリアDNAハプログループA、B、Gの集団の起源は5万年前
 シベリアや朝鮮、日本に3万5千年前には定住


(どうスかー壮大っスよーですよねー。)


♪ごごごごご(※効果音。コピペしたかつた。)


(ぷひぃー。とん、とん。)

がらがらりん♪


(えーと、他にもこのWikipedia「日本人」のページにゃー、人類集団についてたくさんのことを書いてくださっているのですけれどもー、詳しく書いてくださっているのですけれどもー、はてー、どうしたもんでせうかー。)


 こんばんは。


(はわわ、たーくさんのアプローチの方法やー、たーくさんの諸説が生まれー入り乱れているようですーんだどもーそうなんスけどもー時に細かすぎたりー理解が及ばなかったりでーあんあーどうもさーせんー。)


(ぷひぃー。とん、とん。)

♪こんがらがらがら


(ああ、そうか、こーゆーことなんかも知れませぬー。)


 こんばんは。


(と申しますのは、昨日のお話が、あ、先にあらゆる意味で批判などでありませぬことを申し上げたうえで、その「仮定」なんですね、はい、この仮定の仕方が、置き方がなんとも大胆だなあと、そして面白いなあと思ったんスが、なんせ東アジアのひとびとを6つの集団にまとめて仮定するのですよ、繰り返しますと本土日本人、アイヌ人、沖縄人、韓国人、北方中国人(注:サンプルは北京の漢族)、南方中国人(注:サンプルは中国系シンガポール人))の6つに、ね、この分け方が、なるほどそうかと、そう置くこともできるのですねーと、この仮定そのもの、仮定自体が俺にとり新鮮でしたーゆうことと、そして次にこれらの集団をさらに「すべて三つの集団の混血からなると仮定してゲノムを分析」してみるゆうんが、これまたなかなか斬新な、そして大胆な、ね、ですよね、そうしますと、この仮定をちょっといじって発展させてみる余地などありますのんか、いやいやこの仮定がとっても優れているがために、あんまりいじる余地などありませぬとなりますのんか、とすればその根拠をどこにどう求めることをできますのんか、などなど、そうなんです、まーんず、何はともあれ、この「仮定」にとってもひかれたんスーありがとうございますー。)


(ぷひぃー。とん、とん。)

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