しょういち家頁

知らなんかみをたうにんはいごー。


 こんばんは。


原生生物 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』

歴史(の再掲)
 19世紀に入り、エルンスト・ヘッケルは動物とも植物ともとれる原始的な生物を3番目の生物界、原生生物界として分離し、動物界、植物界、原生生物界の三界とした(三界説)。
 当初ヘッケルが原生生物界に分類した生物は細菌類、真菌類、単細胞藻類、原生動物、海綿動物であったが、後に単細胞生物に限定した。


(昨日はちと飛ばし過ぎーと反省をしーの、昨日最後尾部を、ええ、そこで「原生生物」を植物と動物以外として新たに設け、さすがに「それ以外」ってだけじゃーあんまりかもーと思ったか、思わなかったか、その「原生生物界」なるものの中身を、もちっと細かく分類してみませうーとなりました、とする俺の理解は、おおむねOKってことでいいスかー。)


 1959年、ロバート・ホイッタカーは生物をモネラ界、原生生物界、植物界、菌界、動物界の5界に分類する五界説を提唱した。
 彼の考えは、生物の進化に大きく3つの方向があると考えたことである。一つは、光合成をして、動かずに生活する植物の方向、2番目に運動して餌を食べる動物の方向、3番目に、体の表面で有機物を溶かして吸収して生活する菌類の方向である。
 彼はまず、細胞の構造が異なる原核生物を区別し、前述の3つの方向に進化して、よく発達した構造を持った仲間をそれぞれに植物界、動物界、菌界としてまとめた。
 そして、単細胞の生物では、それぞれが3つのどれかの方向に進化してきたのだとしても、その程度が低いので区別が難しい状態であるとして、まとめて原生生物界と名付けた。
 つまり、系統的にまとまっていると見なしたわけではなく、発達段階で分けたということである。


(えーと、えー、ちぃーとややこしうなってきましたぞー。)


 ふぃー。とん、とん。

知らなんかみをそわかー。


(だんだん表題の逸脱が激しくなってきたけどそれもまたよろし。)


 こんばんは。


原生生物 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』

歴史(の続き)
 この状況はアントニ・ファン・レーウェンフックが微生物を発見したことで大きく変化した。
 彼の発見の後、多くの研究者が様々な微生物を発見していった。それらの生物のなかには、アオミドロのように、動かず、光合成している植物と見なせるもの、ゾウリムシのように活発に運動し、餌を食べる動物とみなせる種、カビのように胞子を形成する菌類とみなせる種など、それまでの枠におさまるものもあった。


(とどのつまり、科学に関する、顕微鏡なりの技術が発達しーの、そうすっと新たな生物がつぎつぎと見つかり―の、そうすっとそれまでの分類に収まりきらぬ生き物もまた次々とあらわれーの、ちう理解でOKスかね。)


 ところが、たとえばミドリムシのように、光合成能力がありながらも鞭毛で運動をする動物とも植物ともつかないもの、変形菌のように胞子を作る菌類のようでありながら、栄養体はアメーバ運動をして餌を食べる動物のようなもの、珪藻のように、固い殻を持ち、光合成をしながら、移動能力があるもの、といった風に、これまでの枠組みにおさまりきれない生物が多数発見された。
 19世紀に入り、エルンスト・ヘッケルは動物とも植物ともとれる原始的な生物を3番目の生物界、原生生物界として分離し、動物界、植物界、原生生物界の三界とした(三界説)。
 当初ヘッケルが原生生物界に分類した生物は細菌類、真菌類、単細胞藻類、原生動物、海綿動物であったが、後に単細胞生物に限定した。


(またも俺勝手解釈を展開しますと、そしてこれこそが「原生生物」なるものがなんなのかとする疑問の肝なのかも知れませぬが、これまで生きもののすべてを植物と動物の大きくふたっつに分けていたものを、ほんじゃあ従来の定義に収まりきらぬ、奇怪な、けったいな生物がたくさん出てきたから、とりあえず三つに分けてみませうかなー、とする考え方だととらえてもよろしいのでせうか。それを「原生生物」としましたよという。ということはですね、それってつまり、植物と、動物と、それ以外、ゆう、ばふっとした捉え方として見ることもできますよー、とする理解でもOKスかな。)


 ふぃー。とん、とん。

知らなんかみをしんじまーすかー。


 こんばんは。


(この度、俺が思いましたんは、あ、「原生生物」につきまして、俺もたまにゃーちゃんとせにゃーなと思いまして、ウィキペディアの当該頁をざっと通して読ませてもらいました、んで、感じたことなんですけども、物事はなんでもそうだとも言えるのかもしれませぬが、その多くの場合におきまして、「流れ」ゆうんが非常に重要、大切なんでありまして、ですからこの「原生生物」ゆうんがなんですかいのーとなりますときも、時間的に止まっている現在の状況や姿のみならずして、その現在の状況や姿にどうしてなったのかという時間的変遷、「流れ」、歴史ゆうんをみませぬと、ちゃーんと理解できませぬよなーとなりまして、ですから現状の姿なり状況のほんの一部を切り出して、あるいは貼り付けて、そう、そうやって印象操作をする、これが「フェイク・ニュース」、わざとそう作為する行いが「フェイク・ニュース」なんですねー、とする、これもまた理解の「流れ」、なんちて。)


原生生物 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』

歴史
 古くから、生物を動物界(動いて餌を採るもの)と植物界(動物ではないもの)に2分する二界説が生物の分類法の主流であった。
 この場合、菌類は当然のように植物と考えられており、このような判断で、特に問題は生じていなかった。


(と、こんな感じで、ウィキペディアが「原生生物」の歴史を親切丁寧に教えてくれています。おもしろいので、若干細かくなりますけれども、ちゃっちゃとちゃちゃを入れて参りたいと存じます。この生き物を大きく動物と植物に二分する「二界説」は、いえいえ、俺らのような専門の方以外の者にとりましては、今でもしごくふつうの考え方、しごく自然な捉え方ですよね。あ、なにもけちをつけるつもりじゃありませぬー以後も同様ー。)


 ふぃー。とん、とん。

戻る。Back.

知らなんみょーほーれんー。


 こんばんは。


スノーボールアース 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』


(あ、あの、昨日の引用最後尾の、「原生生物」「カンブリア爆発」「酸素呼吸」「エディアカラ生物群」なりの、青色文字で跳(飛?)びますよーと教えてくれる単語たちも、なんだかとっても気になるんですが、そうして今後の展開に大いに活かせそうな気もするのですけれども、その一方でちゃっちゃと先に進めたい気持ちも、だってこんなお叱りの言葉が、どこまで深堀りをするのか、ほりほーりしてほりほーりすれば気が済むんかーと言われましたならば、そんな、限界なんてもちろん定めちゃーいませぬよーとお答えする他に、うーん、どうしようかなーどうしたらよいと思いまするかー。)


原生生物 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』

 原生生物(Protist)とは、生物の分類の一つで、真核生物のうち、菌界にも植物界にも動物界にも属さない生物の総称である。
 もともとは、真核で単細胞の生物、および、多細胞でも組織化の程度の低い生物をまとめるグループとして考えられたものである。
 いくつかの分類体系の中に認められているが、その場合も単系統とは考えておらず、現在では認めないことが多い。

概要
 単細胞のもののほかに、多細胞であっても、ごく小さくて微生物として扱われるものが多いが、褐藻類(褐藻植物門:コンブなど)、紅藻類(紅藻植物門:テングサ、アマノリなど)のような大型になるものもある。
 また、細胞性粘菌のように、単細胞で独立して食物を摂取する期間と、多細胞の子実体を形成する期間の双方を生活史のうちにもつ生物も属している。

 原生生物界には以下の様な生物が含まれる。
・褐藻類、紅藻類といったすべての真核藻類
・鞭毛をもつ菌類的生物(卵菌類・いわゆるミズカビ類など)
・変形菌、細胞性粘菌などのいわゆる粘菌類
・アメーバ、ゾウリムシなどの原生動物

 原生生物は、水中や水を多く含む土壌中に生息している。
 陸上でも、ひなたや岩の上など、乾燥の強い場所でも、地衣類のように他の生物と共生したり、乾燥しているときは休眠して、水があるときだけに活動するなどの方法で生活しているものがある。
 他の生物に寄生して生活する種もいる。動物の腸などの中にも、特殊なものが生息しているが、寄生の場合、共生関係がある場合、不明の場合など、様々である。
 腸内や砂泥層の内部は、有機物が豊富で、酸素がきわめて少ない。これを、植物出現以前の地球上の環境に近いとみなして、そのような条件で生息していた生物の、現在における生息地であると見る向きもある。


 ふぃー。とん、とん。

知らなはらほろひれはれー。


 こんばんは。


スノーボールアース 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』

 現在判明しているもっとも古い氷河時代は南アフリカで発見された約29億年前のポンゴラ氷河時代で、最も新しいものは現在も続いている「新生代後期氷河時代」である。
 最近約一万年は氷河時代の中で比較的温暖な間氷期とされる。
 ところが原生代初期のヒューロニアン氷河時代(約24億5000万年前 - 約22億年前)の最終期と、原生代末期のスターチアン氷河時代およびマリノアン氷河時代(約7億3000万年前 - 約6億3500万年前)に、地球表面全体が凍結するほどの激しい氷河時代が存在したという考え方が地球史の研究者の間で主流となりつつある。


(「主流となりつつある」ちうことは、まーだ固まっちゃいねーんスよーということなんですね。そうかー、んだから俺も知らなんだのも無理もねーってことなんかしらんのー。ですが、ちょっとここから引用が長くなりますけれども、おもしろいのでぜひお付き合いくだされよ。)


 これをスノーボールアース仮説といい、1992年にカリフォルニア工科大学のジョセフ・カーシュヴィンク教授がアイデアとして専門誌に発表したのが発端である。
 その後1998年にハーバード大学のポール・F・ホフマン教授が南アフリカのナミビアでのキャップカーボネイト調査結果などをまとめて科学雑誌サイエンスに投稿し大きな反響を得た。


(ということで、1990年代からにわかに熱くなったんスよーと。そうかーそうだったんスかー。)


 この仮説において注目するべき点は、それまで「ありえない」と考えられてきた「全球凍結」という壮絶な環境変動が実際に起こったらしいこと、それが原因となって原生生物の大量絶滅(大絶滅)とそれに続くカンブリア爆発と呼ばれる跳躍的な生物進化をもたらしたとされることであろう。
 たとえば酸素呼吸をする生物の誕生や、エディアカラ生物群と呼ばれる多細胞生物の出現などがスノーボールアース・イベントと密接に関わっていると考えられている。


(正しく仰せの通り、こいつあー展開次第で超どでけーお話になりもうす。それにしましても、どうして急に「ほにゃららことであろう」だなんて文章になるんスかねーとかいじって遊んだりして申し訳ありませぬうひひー。)


 ふぃー。とん、とん。

知らなんまんだぶー。


 こんばんは。


顕生代(の続き) 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』

顕生代直前の状況(の続き)
地球環境(の一部再掲)

 温室効果の高い二酸化炭素の大幅な減少は極端な寒冷化を引き起こし、顕生代の始まる約5億4200万年前の1億年前に、地球全体が凍結するスノーボールアース(全地球凍結)事件が起こった。
 最後のスノーボールアース事件であるマリノアン氷河時代の年代値は約6億6500万年前から6億3500万年前と推定されている。
 スノーボールアースが終わった後、大気中に増大した酸素を利用して多細胞生物の進化が進んだ。


(ようーようーようー、ようー。)


スノーボールアース 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』

 スノーボールアース(英: Snowball Earth)とは、地球全体が赤道付近も含め完全に氷床や海氷に覆われた状態である。
 スノーボールアース現象とも呼ばれ、日本語では雪球地球(せっきゅうちきゅう)、全球凍結(ぜんきゅうとうけつ)、全地球凍結(ぜんちきゅうとうけつ)と表記される場合もある。
 地球はその誕生以来少なくとも3回、氷河時代と呼ばれる寒冷な気候に支配される時代があった。
 現在判明しているもっとも古い氷河時代は南アフリカで発見された約29億年前のポンゴラ氷河時代で、最も新しいものは現在も続いている「新生代後期氷河時代」である。


 ふぃー。とん、とん。

こんなこともあるんスのー。


 こんばんは。


顕生代(の続き) 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』

顕生代直前の状況(の続き)
地球環境(の続き)
 陸地面積が増えると地上の岩石の量が増えるが、岩石は海中にある時より地上のほうが風化作用を受け易く、その結果リンなどの栄養塩類の海水中への供給量が増えて生物活動が活発になることが予想される。


(ははあー仰せの通りにございまするー。)


 また岩石の風化の増大に応じて海底に堆積する堆積岩の量が増えるが、風化によって地上の岩石から分離された多量のカルシウムイオンが効果的に二酸化炭素を固定し石灰岩を生成した。


(ははあー異論などございませぬー。)


 さらに栄養塩類の増加で増えた生物の死骸も(腐敗する前に)急速に堆積する堆積岩中に取り込まれ、その結果腐敗による二酸化炭素の発生が減って酸素が増えたことが確認されている。


(なるほどなるほどなのでございまするー。)


 温室効果の高い二酸化炭素の大幅な減少は極端な寒冷化を引き起こし、顕生代の始まる約5億4200万年前の1億年前に、地球全体が凍結するスノーボールアース(全地球凍結)事件が起こった。
 最後のスノーボールアース事件であるマリノアン氷河時代の年代値は約6億6500万年前から6億3500万年前と推定されている。
 スノーボールアースが終わった後、大気中に増大した酸素を利用して多細胞生物の進化が進んだ。


(あ、あああ、あ。ああああ~。(←なんか、踊っている。))


 ふぃー。とん、とん。

戻る。Back.

こんなこともあるんスなー。


 こんばんは。


顕生代(の続き) 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』

顕生代直前の状況(の続き)
地球環境(の続き)
 次に陸地の面積について、原生代中期まで、現在大陸として地上に現れている陸地はほとんど海面下にあり、陸地面積は地表の5%程度しかなかったが、約7億年前に陸地の面積が大幅に増えて現在に至っていることが知られている(現在の陸地比率は約30%)。


(あ、あああ、あ。ああああ~。(←なんか、踊っている。))


 当時大陸を嵩上げするような大規模な火山活動は確認されておらず、陸地が増えた原因について下記のような説がある。
・プレートテクトニクスで海溝からマントルへ沈み込む海洋底地殻に含まれる水分のうち、マントル内部へ持ち込まれる水量が増えて海の水が減った。
・プレートテクトニクスで海嶺で生産される海洋底地殻の厚さが減少し、その分海が深くなったため海の面積が減った。


(ぐへえ。ぐほう。ぐわっはあああー。(←なぜか、やられている。))


 いずれも約46億年前の地球誕生以来徐々に冷えてきたマントル上部の温度が所定温度まで冷えた結果であり、
 一番目の説では海溝下のマントル温度が下がって、それ以前は全て地上に戻っていた海洋地殻中の海水が十分抜け出せなくなった事、
 2番目の説ではマントル上部の温度が冷えてプレート生成量が減ったため
とされる。


(      。(←どうぞご自由に想像されたし。))


 ふぃー。とん、とん。

ちゃっちゃら、ちゃっちゃら、ちゃっ(略)


 こんばんは。


顕生代(の続き) 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
顕生代研究の推移(の続き)
 1980年代以後、放射性元素を利用した放射年代測定(ウラン-鉛法やカリウム-アルゴン法)などの年代測定の精度が向上して、地質学的な年代の具体的な数字が従来よりも正確に測定されるようになり、年代値の見直しが頻繁に行われている。


(う。「放射性元素を利用した放射年代測定(ウラン-鉛法やカリウム-アルゴン法)」だってばさ。あれかな、半減期を使ってどうのこうの、みたいな。ううーむ。ちゃーんと調べてみたいようなー、だがしかしーし、(予定調和的に)どはまってまうやうなーきな臭げなにほひもまたー。)


顕生代直前の状況
地球環境
 地球の気候を決める条件の中で最も基本となるのが、「太陽から放射されるエネルギー量」である。
 太陽と地球はほぼ同じ時期に太陽系として生まれたが、太陽系が生まれた46億年前には太陽の明るさは現在の約70%であり、その後徐々に明るさを増している。


(うへえ。マジか。まじスか。な、な、なんと、できたばっかりの太陽っちゃー、今現在の俺らの知る太陽の、なんとたった7割の明るさしかなかったんですってばさー。えええええ~。こりゃー、びつくらこいたですだよー。こいつあーとんでもねーってこってスー。)


 顕生代直前の太陽の明るさは現在より約6%ほど暗く、その後1億年に1%の割で明るくなっている。


 ふぃー。とん、とん。

ちゃっ、ちゃっ、ちゃっつ。


 こんばんは。


顕生代(の続き) 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
顕生代研究の推移(の続き)

 顕生代の年代区分には、各年代ごとに示準化石という特定の化石を決めているが、示準化石は研究が進むにつれて変更される事がある。


(「示準化石」ゆうて、ふうーむ、後で再び出てくるんでせうかー。)


 1910年ドイツのアルフレッド・ウェーゲナーは南米大陸とアフリカ大陸の海岸線の類似性からヒントを得て大陸移動説を発表したが、当時「メガロザウルス」という陸上爬虫類の化石がブラジルとアフリカで発見されていたこともウェーゲナー説に寄与した。
 「大陸移動説」は着想は良かったものの賛同する学者は少なく、学会の主流にはならなかった。
 「天変地異説」と「大陸移動説」は長い間省みられなかったが、「大陸移動説」は1970年代にプレート・テクトニクスの考え方によって新たに蘇った。
 プレートテクトニクスは顕生代の地球を研究する上で、海洋と大陸の地質構造の違い、超大陸の形成と分裂、造山運動など多くの地質学的疑問の解明に有効である。
 「天変地異説」もシカゴ大学のジャック・セプコスキによる丹念な化石記録の調査から、生物が何回も大量絶滅を経験してきたことが明らかになった。
 右上の図では、古生代と中生代の境目(P-T境界)や中生代と新生代の境目(K-T境界)などで生物の科の数が激減している事が読み取れる。またK-T境界ではまさに「天変地異」である巨大隕石の落下が確実視されている。


 ふぃー。とん、とん。

くびがこりこーり。


 こんばんは。


顕生代(の続き) 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
顕生代研究の推移
 キュビエは地層ごとに化石記録が入れ替わっていることから、「時代ごとに生物が一斉に絶滅し、それによって生物相が入れ替わった」と考えた。
 この大量絶滅による生物の入れ替わりは天変地異説と呼ばれたが、チャールズ・ライエルが提唱した「過去に起こったことは現在観察されている過程と同じだろう」と想定する斉一説と対立した。
 斉一説はその後長い間地質学の主流を占め、天変地異説は異端扱いされ無視されてきた。


(えーと、ふと思ったんですけれども、天候、特に気温についてなんですけれども、数十年単位、ならずして、数百年単位で考えてみますとき、結構気温っちゃー激しく上下しているんですねと、例えばこの国だけを見ましても、おおよそ三百年の間とする江戸時代にゃー、三回の飢饉、つまり激しい冷夏だったり暖冬だったり、それや各地の代表的な火山なんぞを見てみますれば、数百年単位であればしょっちゅう噴火を繰り返したりしていますし、しかも江戸時代の飢饉のときは世界的に異常気象に見舞われてもいました、つまり、何を言いたいかと申しますと、自分の人生のスパンで見るのではなくして、数世代の単位ではかって見ますれば、この国でみても、世界を見ても、割と気温の上下動なんてこたーごくふつう、珍しいこっちゃねーんだなーと思ったんですーそんだけっスー。)


 19世紀には世界各地で多くの化石が発掘されるようになって研究が進んだ。
 1840年にイギリスのジョン・フィリップスが化石記録を「古生代」「中生代」「新生代」に分類し、基本的に現在までこの考え方が継続されている。
 地質年代はさらに詳細に分類され「代」「紀」「世」に分けられる。


 ふぃー。とん、とん。

戻る。Back.

「洒落」ゆう漢字、面白いスよ。


 ね、そうは思いませぬか、改めて考えてみっと。そうして、あれこれと、なんだかんだと工夫していじってみる余地もありそうな。よろしくどうぞ。


 こんばんは。


顕生代(の続き) 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
顕生代研究の推移
 地層に含まれる岩石や化石から地球の歴史を研究する地質学の歴史は18世紀から始まった。


(は、はんわあ、こっちも歴史から、「地質学」ゆう学問の歴史っから始めてもろて、ああ、ああ、あんりがとう、ごぜえますだーははあー。)


 18世紀イギリスの鉱山技師ウィリアム・スミスは、オックスフォード周辺の地層を検討し「異なる地層からは異なる化石が発掘される」事を発見した。


(と、何気にさらりと教えてくれていますけれども、ですがこのお話もまた、まあまあなんでも最初のことにつきまして、広く言えることなのかも知れませぬが、この「異なる地層からは異なる化石が発掘」っちゃー、これを最初に確かめるっちゃー、結構すごい、じゃなくして、途方も無く途轍(とてつ)も無くすんごいことだと思いますです。もしこの事実を知らなかったころに、俺なんかがこれができるかと考えてみるとき、いやいや、想像すらできませぬよ。あなたはいかがですか。どうですか。自分がこの事実を発見する姿を思い浮かべられますですかー。)


 同じ頃フランスの博物学の研究家ジョルジュ・キュビエもパリ盆地周辺の地層を研究し「地層ごとに産出する化石が異なる」事を発見した。


(こういうこともまた、よく起こり得る、よくありますですよね。すなわち、偶然が重なると申しますか、ほぼ同時期に、複数の違う場所で、別々のひとらが、互いになんらの連絡を取ることもなく、独立に個別におんなじ事実を同時多発的に発見するという、そんなパターンが。なんですかね、こういうのんをどう言えば、どう考えれば、あるいはどう考えることができるのでせうか。時代の要請ってやつですかね。たぶん、こうした事実の裏にゃー、様々な要因が重なっていて、たとえば、科学に対する人々の意識が変わってきているとか、科学や技術の知識や知恵の蓄積や、好奇心を発露できる環境が整ってきているとか、ほら、この方々の「鉱山技師」「博物学」など、前世紀にゃーありませんでしたよねとか、他に、うーん、どうなんでせうかー。と、本日は割とさくっとまんずまんずー。)


 ふぃー。とん、とん。

洒落た洒落をな洒落


 こんばんは。


顕生代 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
 顕生代(けんせいだい、Phanerozoic eon)とは、地質時代の最上位の区分である累代のひとつで顕生累代とも呼ぶ。
 顕生代とは「肉眼で見える生物が生息している時代」という意味であるが、実際には三葉虫をはじめとする化石として残りやすい甲殻や骨格を有する生物などが多く誕生し始めた時代であるカンブリア紀以後を指す。
 古生代、中生代、新生代を含む。


(あの、もうしわけござーせん、あまりにも時間が経ってしまい、誰よりも俺こそが忘れてしもーてますんで、『顕生代』についちゃー最初っから振り返ることにしましたーよろしくどうぞー。んで、そうですね、「顕生代」の「顕」ゆう漢字は、「顕(あら)わ」とも言いましたですね。ふ。あ、なんスか、俺の鼻の穴がなんスか、え、広がって垂れてるぞと、そっスかーでも気にせんといてくさいーこれがここんとこのふつうなんで何を言わすー。)


 顕生代はカンブリア紀の始めから現在までのことで、約5億4100万年の期間である。
 地球誕生が約46億年前と考えられているので、顕生代は地球の年齢の約1割ほどである。
 顕生代に対し生物化石の発掘量が少ないそれ以前までを先カンブリア時代(隠生代 Cryptozoic eon(s))と呼ぶ。
 地球の歴史の9割近くが先カンブリア時代であるが、この期間が無生命、無生物であったわけではなく、化学進化の結果として原始海で原始生命体が誕生したのは38億年から40億年前と考えられている。


(特にありませぬ、強いて申し上げますれば、'Cryptozoic'ゆう単語は、ふうーむ、なんかしらん、暗号'Crypt'となにやら関係があるっぽいぞーと思いましたーえー俺の鼻がびろびろびろびろー。)


 ふぃー。とん、とん。

激怒。げきど。げきおこ。うへへ。


(おお。プレートが「ごごごごご」ゆうてるイメージが。にわかに。)


 こんばんは。


(えーと、えー、さー振り返りますよー嫌でもなんでも否が応でもしばらく付き合ってもらいますよー、もちろんですよー、ああそうそう、ありましたねー「ワラセア」、んでー表題を「ファイナル」シリーズで引っ張ってもっぱら遊びつつのー、そうだ「ウォレス線」、お世話んなりましたー、おお、そうそう、「岩」まわりがあぶねーぜと、きなくせーぜと、あはあー「離極力」、ここらでなぜかホッキョクグマの映像でひと休みをしていただきー、「極移動」だ、でけえ、ひたすらでけえ、ちなみに俺のPCのブラウザーにずうーっとウィキペディア『地磁気逆転』の頁のタブがあるんですけれどもー、これってどうしてでしたっけかー、鋭いあなたさまにどうかご指摘いただければとー、あーなんですかー、とうとうそこまでぶん投げちまえーと言ふのだなーきさまー、ですとー、ええ、そうですよー、もちろんそうしますですともーありがとうございますー、えーと、ああ、まだあるな、まだまだ辿り着かないな、なげーぜ、俺、ほう、「アイソスタシー」がどうのこうの、そんでもって月があれして三月から二月にー、おお、割とちゃーんと「大陸移動説」をしっかり学ばせてもらってますねー、それなのに「総評」がねえだなんてーもしかして失礼なことを言っちゃってたらごごめんなさいー、どうかお許しをー、って、ああ、ありましたありました、2月19日までさかのぼりましたー、えっさ、ほいさ、よかったこれですねー。)


地質時代
累代百万年(Mya)
顕生代新生代66
中世代251
古生代541
原生代2500
太古代4000
冥王代4600

「顕生代」出典: ウィキペディア(Wikipedia)

「顕生代研究の推移(の続き)」出典: ウィキペディア(Wikipedia)


 ふぃー。とん、とん。

コアラが激怒(げきおこ)の顔


(を、たしか前に描いたような気がするんだけども、はい、たーしかコアラがブチ切れているさまなんぞを、しかーし、どうも俺に確信が持てねえし、そして探しようにしても、確かめてみたくとも、俺にゃーどうしていいかわからねーし、しかも必要なスキルもねえってばさーくっそー。)


 こんばんは。


(んで、だ。ここは分かれ目、分水嶺、交差点、段落間の空白行、いやまあなんでもいいんですけれども、どうやら区切れっぽいんで、それらしいことを何か書かにゃーならねえような気に、そんなプレッシャーにさらされている感が、でも、んだども、ウィキペディアさんの頁も若干不足感が、つまりこの「大陸移動説」の「総評」とでも言いますか、全体としてどーなんだとするお話が載っていなくて、ということは、もしかしたらこの説の「総評」っちゃー未だに定かならず、現役で今もあーだこーだしている真っ最中ってことなのか、だからそれを書き出してしまふとまたややこしーことになってしまふのか、いずれにせよ「総評」めいた記述がありませぬで、ですんで俺もどう考えたらいいか、ちと迷ってしまふでねーの、まあまあいいんだけれども、俺の考えがどうかだなんてどうでもいいっちゃーいいんだけれども、それに何より俺としちゃたっぷりと楽しませてもらいましたしー。)


(そうして俺のつぶやき話が続くんだけれども、じゃあ俺はどうすべきか、次にどうしたらいいのか、ゆうお話がありまして、えー、「大陸移動説」がどこから来たんでしたっけーと、つらつらと、ツツ―とスクロールしーの、過去にさかのぼる、ええ、いつもやってるっちゃーいつものやり方、それかもしくは、昨日んなかでちぃーと気になり申した「プレートテクトニクス理論」なるものをちょちょいとつついてみるか、しかーし、どうもこの「プレートテクトニクス理論」は本丸っぽい、「地質学」ゆうお城の本家本元、ちが、本丸っぽい、下手にあれすっとやけどはしねーぜ、あれ、済みませぬ、やけどをしてしまいかねませぬよ、危険ですよ、とっても危ないですよー、でもだからこそつっこみたくなってまう俺もいるんですー、ゆう。)


 ふぃー。とん、とん。

戻る。Back.

コアラはどうなんだか知らぬ。


(けども、どっちかってーと怖い方向に傾いている。)


 こんばんは。


大陸移動説(の続き) 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)

プレートテクトニクス以後
 その後、1950年代から1960年代にかけて、古地磁気や大西洋の海底などの研究によって海洋底拡大説が提唱され、それがプレートテクトニクス理論へと発展した。
 そして、プレートの運動の結果として大陸移動が導きだされることから、ヴェーゲナーの説も見直されるようになった。
 ただし、ヴェーゲナーの説は、海底面を構成する地層の上を大陸自らが滑り動くとするものであり、プレートがその表面に露出する大陸を伴って動くとするプレートテクトニクス理論とはメカニズムが異なる。
 大陸移動説が嘲笑の対象となっていた時代とその後の再評価を地質学の分野で直接経験した古生物学者S.J.グールドはこう述べている。
「今やわれわれは大陸移動の新しい正統理論(註:プレートテクトニクスのこと)をもつにいたった。
 この理論の光の下で、大陸移動についての古典的データが明るみに出され、積極的な証明であると宣言されてきた。
 だが、これらのデータは、大陸が移動するという考えが市民権を得るにあたっては何の役割も果たさなかったのである。
 大陸移動説が勝利したのは、それが新しい理論の必然的な帰結であるということになってからにすぎない。」


(いじわるだっ。)


 なお大陸移動の実測は1980年代後半に電波星や衛星を用いた測量技術(VLBI)が発展してから可能になり、多くの大陸が1年に数cmの速度で移動していることが明らかになった。


(いじわるだっっ。)


 ふぃー。とん、とん。

カンガルーを怒らせたら怖ひ。


(いや、ほんと、冗談抜きで。)


 こんばんは。


大陸移動説の評価(の続き) 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』

 1920年代には大陸移動説に関するシンポジウムが開かれ、ヴェーゲナーの著書が各国で出版されていたが、1926年にニューヨークで開かれたシンポジウムの報告書(1928年)は多くの学者の反対意見で占められ、大陸移動説の死亡報告書とみなされた。
 1930年のヴェーゲナーの死後、大半の科学者たちは大陸移動説をまじめに取り上げなくなり、数年後にはナチス政権が誕生してドイツの科学界も変貌していった。


(こんな感じで、第二次世界大戦までの歴史を紡いで参りましたー、と。)


 現代から見ると不自然な陸橋説より、よっぽど説明力があるように思える大陸移動説が受け入れられなかった理由の一つに、大陸を動かす原動力の説明ができなかったことがよく取り上げられる。
 地形、地質・古生物・古気候の数々の資料をヴェーゲナーは証拠として提示したが、いずれも状況証拠に過ぎず、当時の一般概念を覆すほどの証拠とは見なされなかった。
 S.J.グールドは「常識で考えて"起こりえない"出来事はそれが起こったという証拠だけをいくら積み上げても正当に評価されない。いかにしてそれが起こりうるかを説明するメカニズムが必要である」と述べている。


(すみませぬ、これは俺のまったく個人的意見でして、なんの批判を加えるものでもありませぬが、なんせこの説はこっぴどくスケールがでかいんで、あまりのでかさににわかには信じ難いゆう、これって「地動説」にも似た、そんなスケールの非常識なまでのでっかさ、並びにそれに伴う、とてつもなき浪漫を感じたりもするもんなんっスー。)


 また、当時の物理学では大陸が動くことを直接的に証明する方法がなかった。ヴェーゲナーも『大陸と海洋の起源』の中で「測地学的議論」の章を設け、「現在の大陸の位置変化を実測する定量的証明こそ大部分の研究者が最も厳密で信頼できる大陸移動説の検証である」と述べている。


(そうなんですね。おそらく、どうやって定量的に調べたら証明ができるんか、とにかくスケールがでかすぎてどうしたらいいかがまずわからない、そうしておそらく、たぶんこうしたらいいんでねーのとするやり方を、どうにかして仮に見つけることができても、今度はそれを実現する方法がまた難しい、どうしたらよかっぺかー、いんやー、ロマンに溢れてますねー。)


 ふぃー。とん、とん。

カンガルーが。なら、コアラ。


(あ。)(←コピペの残りかす、いや、残骸、いや、情熱。なーんちて。)


 こんばんは。


ワラセア(の続き) 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』


(は、読んでみたんスけども、はい、ちゃんと読みました、んだども、ここに載せるんにゃーちぃーと専門的すぎるんかなあゆうんと、あーんまり、ええ、ですんで、申し訳ねっスけども、「大陸移動説」に戻りますかなあと、ですが、本日は「ワラセア」ん頁を読みましとところで、ぷっちと集中力が、ええ、ですんで、よろしうお願いするっスー。)


 ふぃー。とん、とん。

どれほどくさいか確かめてくさい。


(あー、これからちょい長めの引用をさせてもらいますけれども、昨日までの俺の勝手な言い草なんぞが、あなたさまの頭んなかに残っていますれば、案外、意外と容易に理解可能と存ズ。いやーなにげに偉いなー俺あ。)


 こんばんは。


ワラセア(の続き) 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
 氷期の間、海面は低下し、スンダ棚(スンダ陸棚、スンダ大陸棚)が露出しておりワラセアの島々とアジアは繋がっていた。その間に、アジアの陸棲動物がこれらの島々に移り住むことが可能になった。
 ワラセアの島々には、大陸由来と考えられ、しかし海を自力で渡ることは困難と考えられるいくつかの種の陸棲哺乳類、地上棲鳥類、淡水魚が生息している。
 多くの鳥、爬虫類、昆虫は、比較的困難を伴わずに海峡を越えることも可能であり、そのようなオーストラリアやアジア由来の種が、ワラセアで発見されている。
 植生は、圧倒的にアジア由来のものが支配的であり、植物学的にはスンダランド、ワラセア、ニューギニアを含む領域をマレシア植物地理区と呼ぶ。

 同様に、東側のオーストラリアとニューギニアは、浅い大陸棚によって接続されている。これも過去の氷期の時代には、陸橋によってつながっており、各分野の科学者がオーストラリア-ニューギニア、マガネシア、またはサフルランドなどと呼ぶ単一の大陸を構成していた。
 その結果、オーストラリア、ニューギニア、アルー諸島には、ワラセアに生息しない多くの有袋類、陸棲の鳥、淡水魚が生息している。


 ふぃー。とん、とん。

戻る。Back.

カンガルーの袋んなかはふんげえくさい説。


ワラセア(の一部再掲) 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
 スマトラ、ジャワ、バリ、ボルネオを含むウォレス線の西側のスンダランドの島々は、アジアとよく似た、トラ、猿、サイを含む哺乳類の動物層をもっている 


 こんばんは。


(ええ、そうですね。思えば、トラっちゃー、ウォレス線の東側のニュージーランドやオーストラリアにゃーいませんですね。おお、そうか、言われてみればなるほどですが、こういうことにありがちなんが、そうなんだけど、たしかにそうなんですけども、言われるまで気がつきませんで、言われてみますとはじめて確かにそうですのーと感心したりもするものでしたよ。)


(逆を考えてみたく存じます。有袋類のカンガルーやコアラなどが、ウォレス線の西側にゃーいませんですよね。これをどう考えるかを考えまして、順番の議論に帰結したんですが、ええ、俺んなかで、すなわち、深い海峡や速い海流で分断した、そのおかげで、せいで、東側は西側の影響を受けることなく、独自に進化することが「できた」、と見るか、分断してしまったがために、独自に進化「せざるを得ず」なかった、と見るか。こりゃーつまり、楽園か、地獄か、それとも両方か、それともどっちでも無いのか、などなどの見方や考え方も様々ですし、これに時間の経過を併せてみますと、いんやーなかなかなことになりますですよねーあーなんですかー順番の議論じゃねーじゃんかーですかーごもっともですー鋭いご指摘ですー俺んなかじゃそうなんスけども説明が足りませぬですねー下手くそですみませぬー。)


 ふぃー。とん、とん。

うーんにゃそれほどでもザ・ファイナル。


 こんばんは。


(いえね。またも脱線と申しますか、もののついでと申しますか。ですが、まあまあ、えーでねーじゃねーですか。これってば、強いてかっこよく言ってみりゃあ、「深堀り」してると言えなくもねーですよ。てなわけで、てなこって、とりあえずよろしうたのんますっス。)


ワラセア 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
 ワラセア(Wallacea)は、生物地理学的な区分で、深い海峡によってアジアともオーストラリア大陸の大陸棚とも隔てられたインドネシアの島嶼の一群を指す語。ウォーレシア、ウォレシアなどともよばれる。


(正直に申し上げます。「生物地理学」などとゆうジャンルが、あったんスね。存じませんでした。そうして、そんななーんも知らぬ俺なんかにゃー、なにやらおもしろそう、同時に、むんずかしそーですね。だって、なぜと言うに、あの、動物類の「分類」をどこでどう置くのか、どこでどう分けて、その根拠ちゃーなんだべさー、などなど、もうほんのちょっぴり考えただけでも議論百出、紛糾確実、ああ、嗚呼、なんとうらやましひ。あら。)


 ワラセアは、スンダランド(マレー半島, スマトラ, ボルネオ, ジャワ島, バリ) の東側でオーストラリアやニューギニアを含むニアー・オセアニアの北側、西側に位置する。ワラセアの陸地面積の合計は34万7000平方キロメートルである。


(こりゃーもう図を見ていただけましたならば。)


 スンダランドとワラセアの境界は、その両側での哺乳類と鳥類の動物相の違いについて記述したアルフレッド・ラッセル・ウォレスにちなみ、ウォレス線と呼ばれる。スマトラ、ジャワ、バリ、ボルネオを含むウォレス線の西側のスンダランドの島々は、アジアとよく似た、トラ、猿、サイを含む哺乳類の動物層をもっていることで共通している。


(ようやっと、具体的な動物名が出て参りました。ええ、はい、これを知りたかったのですよ。「トラ、猿、サイを含む哺乳類の動物層」とあります。なるほどです。しかーし、ひとまず本日はここまでー。)


 ふぃー。とん、とん。

うーんにゃそれほどですザ・ファイナル。


 こんばんは。


(「ウォレス線」。「南半球で、距離的にごく近いのに生物相がまったく異なる」線ですってばさ。いやあ、なにやら気になりますなあ。)


ウォレス線 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
 ウォレス線(Wallace Line, Wallace's Line)とは、インドネシアのバリ島、ロンボク島間のロンボク海峡からスラウェシ島の西側、マカッサル海峡を通りフィリピンのミンダナオ島の南に至る東に走る生物の分布境界線のこと。
 これより西の生物相は生物地理区のうちの東洋区に属し、東はオーストラリア区に属するというもの。
 1868年、アルフレッド・ラッセル・ウォレスが発見したことからこの名がついた。ウォーレス線、ワラス線ともよばれる。
 氷期には海面が下降し、東南アジア半島部からボルネオ島、バリ島までの一帯がスンダランドと呼ばれる陸続きとなっていた。
 同様に、パプアニューギニアとオーストラリアはサフルランドを形成していた。
 しかし、スンダランドの東側とサフルランドの西側は陸続きにはならなかったことから、生物相が異なる状態が現在に至るまで続いているものと考えられている。
 詳細は「ワラセア」を参照


(お、おんもしれーぜっつ。ぜひウィキ頁の図をも参照くだされ。)


 ふぃー。とん、とん。

なんだとこらなんのこれしきザ・ファイナル。


 こんばんは。


(てなこって、昨日の文中の「大陸周辺の地向斜による引っ張りによる分裂説」なり「シマ層の熱対流による移動説」なんぞも、ちょっとばかし気になるところですが、もしかすっと後でつながるのかも知れませぬねなどと期待を抱きつつも、先に進ませてもらいまんにゃわ。)


大陸移動説(の続き) 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
大陸移動説の評価
 大陸移動説に対する評価は様々だった。
 ヨーロッパやその南半球の植民地などでは当初好意的に評価する研究者も多かった。大褶曲山脈の形成の説明に使われていた地球収縮説が説得力を失いつつあった時代に、大陸移動説は山脈を生み出す別の原動力を与えることができたからである。
 また、南半球では距離的にごく近いのに生物相がまったく異なるウォレス線のように大陸移動がなければどうしても説明がつかない事例がいくつか発見されていた。大陸移動説がまったく見向きもされなくなった時代でも、南アフリカやオーストラリアの研究者に大陸移動を支持するものがいたのはこのためである。
 一方、否定的に評価したのはアメリカの研究者たちだった。当時知られていた物理学では、大陸移動をおこすような駆動力は説明ができなかったためである。彼らはしばしば、ヴェーゲナーを専門外の学者として感情的に批判した。日本では寺田寅彦が好意的に紹介したが、1924年のハロルド・ジェフリーズらによる批判が知られるようになると取り上げる研究者は少なくなっていった。


(歴史のおべんきょうですー。個別にくわしく説明くださっていますが、総じて当初は否定的に捉えられてしまいましたんですーと、そう、大陸移動説が、いんやーしかし、こーんなでっかい説も、賢い学者のみなさんのなかであっても、安易に感情に引きずられてしまったり、他人の評価なり評判の影響をあっさりと受けてしまふ、免(まぬが)れえぬのですねー。)


 ふぃー。とん、とん。

戻る。Back.

なんだとこらああぜひおねがいします
ザ・ファイナル。


 こんばんは。


大陸移動説(の続き) 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
大陸移動のメカニズム(の続き)
 (※俺注:だが、しかーし。)このモデルはすぐにハロルド・ジェフリーズ、ポール・ソフォス・エプスタインなど物理学者らによって、遠心力や潮汐力は大陸のような巨大な陸塊を動かし山脈を形成できるほど強力ではないことが示されている。シマ層は流体ではなく頑丈な固体であるので、多くの地球物理学者・地質学者に納得のいくメカニズムとはみなされなかった。


(ふほ。てなこって、昨日、こりゃーすげーぜーとご紹介申し上げさせてもらいました「離極力」「潮汐力」などの説は、さっくり、ぽふっと否定されてしまふのですね。「あんなあ、そんな弱い力で北極なり南極が移動してたまっかよー。んなわけなかっぺやー」と言われてしまふのですね。ああ、これぞ、わざわざ時間的に引っ張っておきつつ、あっさりぽしゃる、さっくりぽしゃらせる、これぞシリーズ化の要諦なりよ。ふははははー。は。)


 その後、アレクサンダー・デュ・トワによる大陸周辺の地向斜による引っ張りによる分裂説(1937年)や、アーサー・ホームズによるシマ層の熱対流による移動説(1929年, のちのマントル対流説、1944年)などが唱えられたが、いずれも証拠に乏しく、定量的にも不十分なものだったため、次第に正統派の地質学者からかえりみられなくなっていった。


(と、そうです、こうしてさらに追い打ちをかけるがごとく、そう、否定に否定を、不運に不運を、不幸に不幸を重ねる、これもまたお話作りの要諦、黄金の、お、黄金の、ええ、ありがとうございます。)

 ふぃー。とん、とん。

なんだとこらええ度胸やごめんなさい
ザ・ファイナル。


 こんばんは。


大陸移動説(の続き) 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
大陸移動のメカニズム
 ヴェーゲナーの時代には地球上層部は花崗岩質のシアル(SiAl)層と玄武岩質のシマ(SiMa)層に分かれるとされていた。これは前述のエドアルト・ジュースによる分類である。大陸地殻が氷山のようにシマ層の上に浮かんでいるようなモデルが想像されていた。ヴェーゲナーは密度の小さいシアルからなる大陸地殻が、密度の高いシマ層の上を滑るように押し分けて進むイメージを考えた。


(こ、これは。来やがったな。実は、前々から思っていたことがありまして、前からあいまいに、漠然と、ぼやっと、ぽやーっと考えていたことがありまして、それはですね、ずばり「石」でして、「岩石」でして、本文中にあります花崗岩や玄武岩、これらをですね、ええ、学生時代にちろっと勉強したんですけども、そんときはそれなりにわかったつもりんなっていたんですけども、実はそんな表面的な理解じゃーぜんぜん足りませぬで、ええ、たぶん、きつと、しかも、そんな浅はかな俺んなかでの理解もまた、時とともにはるか彼方へじゅわっち、星になってしまわれたことですよなあでして、そんなわけできっちりと、復讐をかねて、あ、ちが、けどでもだって最初に出てきたんですもの、復讐ならぬ復習をせねばなりませぬと、しか-し、これはこれでけっこうなボリュームになりますですよとする確かな予感が、いやだってそうですよ、そうとしか考えられませぬ、あーそうかーこれをシリーズ化すればいいのかもーえーでもーでもでもでえーもおー。)


 そして、移動の駆動力として離極力(遠心力)と月と太陽による潮汐力に求めた。地球が回転している楕円体であるため、赤道方向への遠心力が働き、インド、オーストラリアの離極運動がおこり、潮汐力により地球の自転速度が遅くなり、南北アメリカへの西向きの力が生じているとした。


(痺れます。しびれますです。「離極力」だなんて、はじめて聞きました。そして「潮汐力」。地球がほんのごくわずかながら洋梨の形をしていてほにゃほにゃほーとするお話を思い出しました。てなこって、本日はここで切ります。ええ、あえてそうします。ひひ、理由は申しませぬ、が、おわかりいただけることかと。明日になりますれば。ええ、ありがとうございます。)

 ふぃー。とん、とん。

さては尽きたな、だと。ザ・ファイナル。


 こんばんは。


(大陸移動説に戻りますが、そりゃーもちろん戻るんですけども、ひとっつだけ、昨日の抜き書きに関して一点、極移動を英語でpolar wandering (PW)と称すと教えて下さっていますが、親切だなあと感謝感謝ですが、これを見ました俺がすかさず連想しましたんが、ホッキョクグマ、ええ、だって彼らはpolar bearと言いますよね、ですよね、そんなわけで、見渡す限りの氷河の上を、一頭のホッキョクグマがとことこと歩いていく、一匹がひょいひょいと巡っていく、見渡す限りの氷河、空の青さと氷河の白の世界、そんなイメージなんぞを、ええ、ありがとうございます。)

大陸移動説(の続き) 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動の過程


(あ、あの、これはこれでよくご説明していただいていますし、決して文句じゃござーせんが、こうゆうのんはどっちかと言えばヴィジュアルでお見せいただいた方がわかりが早いかな、そう、ヴィジュアル系、あ、ちが。)


 ふぃー。とん、とん。

ザ・ファイナル・リーゼント。


 こんばんは。


極移動(の続き) 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』

 古地磁気学により、火成岩生成時の偏角と伏角を得ることができる。大雑把に言えば、偏角は極の方向を表し、伏角は緯度で決まる、つまり極からの距離で決まるため、当時の極の位置を知ることができる。こうして得られるのは厳密には極ではなく磁極の位置だが、数千年以上の時間スケールにわたる複数のサンプルを平均化すれば、磁極の分布の中心は極とほぼ一致する。また、古地磁気学より精度は劣るが、古気候学でも過去の緯度を(低緯度か高緯度かくらいだが)推察できる。


(ぐはっ。)


 実際には極が動かなくても、大陸が移動すると、大陸から見た極の位置は変化する。大陸移動説以前は、これは実際に極が移動したと解釈されていた。その名残で、これを見かけの極移動 (apparent polar wandering = APW) と呼ぶ。なお、こうして復元された極移動が大陸により(具体的にはヨーロッパと北米で)違い、その違いが過去にさかのぼるほど広がっていることが、大陸移動説の証拠の1つとなった。


(ぐへっ。)


 大陸移動を補正すると、地殻全体に対する極の移動が残る。これを真の極移動 (true polar wandering = TPW) という。大陸移動、氷床の盛衰、大規模な火山活動、大規模な天体衝突、地球内部の質量分布の再編などにより、固体地球の質量分布が変化し、慣性能率テンソルが変化すると、真の極移動が起こる。モデル計算やシミュレーションによれば、極は質量分布の変化に対し比例的に移動するとは限らず、ある限界を超えた時に突然極移動を起こすことがある。これは、それまでの極に対応する赤道が遠心力で膨らんでおり、ある程度の変化に対しては極を安定させる効果があるからである。


(ぐほっ。)


 ふぃー。とん、とん。   は。

戻る。Back.

ザ・ファイナル・リングイネ。


 こんばんは。


大陸移動説(の続き) 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヴェーゲナーの大陸移動説(の続き)
陸橋説とアイソスタシー(はもう取り上げましただ。)
極移動

 大陸が移動するだけでなく、地球の極もその絶対位置が移動することをヴェーゲナーは詳細に述べている。
 白亜紀以来の南極点の移動を、彼の師であるウラジミール・ペーター・ケッペンとともに化石の調査から割り出しており、南アメリカを基準とした極移動とアフリカを基準とした極移動を図で示した。
 そしてその移動のずれを大陸移動によるずれとみなした。
 この極移動は、その後1950年代に、古地磁気の測定からインドの北上を指摘したパトリック・ブラケットのもとで学んだケイス・ランコーン、エドワード・A・アーヴィングらによる岩石の残留磁気の詳細な調査により、北米大陸とヨーロッパ大陸のそれぞれの磁北極移動軌跡が描かれ、それらが系統的にずれていることが確認されている。
 これはその後、大陸移動の独立の証明とみなされた。


(ふうーむ。化石や、岩石の磁気を使い、こうした説を証明してみせるのですね。ふうーむ、地道、かつ、とっても重要、なのでありまーす。)


極移動 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
 極移動(英: polar wandering)は、地質学的時間スケールで、固体地球またはその一部に対し磁極(磁北極・磁南極)が移動すること。


 ふぃー。とん、とん。   は。

ザ・ファイナル・リバーシブル。


 こんばんは。


大陸移動説(の続き) 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヴェーゲナーの大陸移動説(の続き)


(なんスけども、はい、続ける気満々スけども、ですがその前にちぃーとばかり居茶門之助付左衛門、いえね、恐竜なんスけどもね、昨日の「キノグナトゥス」なんてーのんをつんらつんらとながめつつ思い出したんスけども、そういえば俺んなかじゃーながーい間くすぶり続けた疑問なんスけども、こうした今は無き恐竜なんぞの、体表なんスけども、その体表に毛があったのか無かったのか、そうしてあったとしてその毛に色があったのか、それは何色か、縞々だったりの模様があったのか無かったのか、などなど、こうした諸々の事象を、果たしていってーどうやって調べるんだらうかと、ええ、思えば長年の疑問でして、ほら、みなさんご存知の人気の「ティラノサウルス」にしましても、ここ数年、数十年の単位の間にも、激しく意見が動いてきたでねーですか、そうして俺んなかじゃー未だに定かならず、定まっているだなんてとてもとても言えませぬで、あらゆう説明のなかでも、その極め付けは、ひとくちに「ティラノサウルス」ゆーても、種類がたーくさんあるんですぞーとか、思えば恐竜っちゃー人類なんかよりはるかによっぽど長い期間生存していたのだから、その間じゃー思いっ切り幅広に変化もするでしょーよ、変化して当然ですよねですよねーとする、なるほど、言われてみますと確かにその通りです、でもね、けどさ、ちゃーんと知りたいっスよねーですよねーおおっと本日はこれでまんずまんずOKー。)


 ふぃー。とん、とん。

ザ・ファイナル・リッチーブラックモア。


 こんばんは。


大陸移動説(の続き) 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヴェーゲナーの大陸移動説(の続き)


古生物学的根拠
 グロッソプテリスの分布、単弓類キノグナトゥス、リストロサウルス及び淡水生のメソサウルスの分布、ヨーロッパ全域と北アメリカのニューファンドランドの一部でみつかる三葉虫の分布状態など。


(お願いがあります。Wikipedia当該頁の当該箇所に飛んでいただき、カーソルを個々の固有名詞上に合わせて欲しいのです。そういたしますれば、各々の固有名詞「グロッソプテリス」「単弓類」「キノグナトゥス」「リストロサウルス」「メソサウルス」「三葉虫」などの存在や意味や写真なんぞをお楽しみいただけるのです。どうかよろしくお願いします。)


生物地理学的根拠
 海を越えて渡ることができないミミズのある属 (Ocnerodrilidae, Acanthodrilidae, Octochaetidae)の分布、ある種の淡水ザリガニ(Limnocalanus macrurus)の分布など、いくつかの不思議な隔離分布が知られている。
 生物地理学ではこれを説明するのに陸橋説があったが、大陸移動があって、以前は陸続きであったとする方が遙かに説明がたやすいとした。


(「ミミズ」や「ザリガニ」から、こうした不思議を発見し、新たな考えにまでこぎつけるだなんて、なんとまあ、素晴らしきことよ。順番は、どうだったんだろうかと思います。数々の不思議と「ミミズ」「ザリガニ」の、どっちが先か、どっちがどっちにくっついたんか、考えが結び付いたんはどっちからか、などと。ですがまあ、いずれにしても大したもんですよね。)


古気候学的根拠
 現在は極地域にあるスピッツベルゲン島が過去に熱帯気候であったことの説明に極移動だけでは説明できないこと、古生代後期の氷河の分布が現在は熱帯である地域にまたがっているが、同時期の北半球には氷河の痕跡が見られないことなど。
 とくに南アメリカ東部の氷河の擦痕の方向が、現在は大西洋があるところから氷河が流れてきていることを示しているなど。これらは大陸が移動したとするとよく解決できる。


 ふぃー。とん、とん。

ザ・ファイナル・リチャードソン。


(あ、そんな目で見ないで、そ、そんな、   も、もっとおー。)


 こんばんは。


(えー、昨日の後半部の、なんだかいきなりおもわず体調急変でごまかしーの作戦は、まあまあまあ、改めて俺感想なんぞを、おっつけおっとり刀ながら申し上げさせてもらいますならば、時間のスケールを地質学的に長大に、すなわち時間軸を超々ながーくするとき、地殻も流体、液体のごとしですよーと伝えてくれてますよってこってよーそろー。)


大陸移動説(の続き) 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヴェーゲナーの大陸移動説(の続き)


地質学的根拠
 アフリカ、南アメリカ両大陸の大西洋両岸における地質構造の一致。例えば、ブエノスアイレスのシエラ・デ・ラ・ヴェンタナ山脈と南アフリカのケープ山脈の褶曲構造の一致やダイヤモンドを含む特殊な岩石キンバーライトの分布状況、ブラジルとアフリカの巨大な片麻岩台地の岩石や走向の一致など。これらは主にアレクサンダー・デュ・トワによって詳細に調べられた。

 ヨーロッパと北アメリカの大西洋両岸の地層の一致。例えば、スコットランドのカレドニア山脈を横断している断層が、北アメリカのボストンからニューファンドランド島に広がっているカボット断層につながっていることをツゾー・ウィルソンが発見している。


(おお、なんだか急に具体的にかつ詳細に、けど、実感を持ってなるほどそうかーと思われる方も、きっと大勢いらっしゃるのでせうなー。)


 ふぃー。とん、とん。

戻る。Back.

家頁ロゴ 頁トップへ