しょういち家頁

色も魅力だったりもー。


(どうも重ね重ねもうしわけありませぬ、昨日謹んで訂正いたしましたことが、実はまちごーていなかった、訂正する必要などありませなんだーゆうことが判明しまして、まちごーてなかったことに気付いてぼーぜんといふ、直して後に、直す必要がなかったと気づくといふ、なんともなんどもどはまりーぬ。)


 こんばんは。


(まあまあ、とは申せ、そうはありませぬ状況ですんで、もちっとねばって説明させてもらいますと、今回の場合、「ピダハン語」なる、かなり珍しいのではあるまいかーゆう言語についてもっと知りたいという思い、でも、わからぬままわからぬことが増えるばかりんなって、どはまりするかも知れぬ、てかその確率の方が経験上高いのかな、ああ、そんなんわかってますよ、わかってますとも、でもさ、でもでもさ、んだども、んだどもべなー、なーんて迷いが、こうした間違えてもーたと勘違いする状況を生み出したんじゃーあるめーかなー。)


(と言いつつ、本日は昨日の続きでのーて、昨日の文章に関しましての俺なんぞの考えを申し上げたく存じます。あの、疑問文が、どんな言語も「例外なく上昇調の「問うイントネーション」を使用」とありまして、そうなのか、当たり前なのかも知れないですけれども、こうして言われてみるまであんまり考えてみたこともありませなんだーと気付かせてもらい、感謝感謝。そしてまたまったく同様に「激しい喜びの任意の表現は話し手の言語や国籍にかかわらず、概して下降調で発音され、これもまた普遍的である」とありまして、なるほどのーと、そうなんスかーと、ええ、いわば当たり前を「当たり前」と気付かせてもらうんも、大事なことなんかも知れぬーと気付かせてもらう、ありがとうございますー。)


(ぷひぃー。とん、とん。)

これ居茶門之助。はっ、ははあー。


(文句ばかりゆうて申し訳ござーせんー、そうして疑問がいくつも残りつつも、本日はちゃっちゃと進めとう存じますー、えー、なぜだか説明できませぬがーこーゆーわからねーときゃーもうすこしわからねーまま進めてみるゆうんもーたまにゃーいいこともあるんでさーと、ええー経験則とでも申しますかー。)


 こんばんは。


言語の起源 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
コミュニケーション、音声、言語

(※おとといまちげーておりました謹んで訂正しますー。)
(※↑とする間違いを、勘違いを、再訂正いたしますー。)
(※もーちろん続きっスーあざーす。)

ヒトの言語のカギとなる特性は問う能力にあるとも提言されている。(特にボノボやチンパンジーのように) ヒトである調教師と (主に視覚的な形でのコミュニケーションを利用して) 交流するようになり、複雑な質問や要求に正しく応じる能力を示す動物もいたが、彼らでも、そしてもっとも単純な形であっても自ら問いを発することはできなかった。

ヒトの子供は統語構造を使い始める遥か前、彼らの発達段階のうち喃語期に (問うイントネーションを使うだけではあるが) 初めて物を問うことができるようになる。異なる文化に属する赤子はそれぞれの社会環境で母語を習得するが、地球上に存在する言語は例外なく―声調言語であれ、非声調言語であれ、抑揚言語であれ、アクセント言語であれ―一般疑問文には上昇調の「問うイントネーション」を使用する。この事実は問うイントネーションの普遍性の強い証明である。

他に言及しておくべきこととして、激しい喜びの任意の表現は話し手の言語や国籍にかかわらず、概して下降調で発音され、これもまた普遍的であるということがある。


(ぷひぃー。とん、とん。)

こんなんでましたー。






 °

     □悶


 カモメ、かもめ、鷗、点々々々々々々こんばんは。


(えーと、昨日の抜き書きに、居茶門之助付左衛門がうずうずうず。

 「極端に限定された節構造を持ち、「太郎は結婚したと次郎は考えていると三郎は言った」といった入れ子状の再帰的な文は作れない。」とありまする。あの、まーんず、会話じゃーそんな再帰的なお話の仕方をするこたあ、あんまりありませぬよね。そうして次に、書きます文章にしましても、再帰を用いると文がむずかしうなりがちですので、基本的にゃーあんまりせぬ、せいぜい一次、いっても二次、くらいじゃーありますまいかー。すなわち、あんまり再帰的な文ゆうんは、会話にしても、文章にしましても、あんまりしませぬよねーゆう、ううーむ、こりゃー卓袱台(ちゃぶだい)どっかーんさーせんー。

 あ、いま気づきましたが、最初の「極端に限定された節構造」ゆうんがポイントかも知れませぬね、とはいえ、わかりませぬ、想像もつきませぬー。

「ピダハン語は口笛にも鼻歌にもでき、音楽として記号化もできる。」て、地味にすんごいス、とは思えど、俺の想像力じゃーそっから先に進みませぬー。

 やはり最後の段落がさっぱりわかり申さぬ。「エヴェレットは、この言語に再帰が無いことはチョムスキー言語学の根底を崩すものとなると主張」「チョムスキーを含め何人かの言語学者は、たとえピダハン語が再帰を欠くとしても、チョムスキーの理論には影響がないと論じている」。あああああー。)


(ぷひぃー。とん、とん。)

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