これ居茶門之助。はっ、ははあー。
(文句ばかりゆうて申し訳ござーせんー、そうして疑問がいくつも残りつつも、本日はちゃっちゃと進めとう存じますー、えー、なぜだか説明できませぬがーこーゆーわからねーときゃーもうすこしわからねーまま進めてみるゆうんもーたまにゃーいいこともあるんでさーと、ええー経験則とでも申しますかー。)
こんばんは。
言語の起源 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
コミュニケーション、音声、言語
(※おとといまちげーておりました謹んで訂正しますー。)
(※もーちろん続きっスーあざーす。)
ヒトの言語のカギとなる特性は問う能力にあるとも提言されている。(特にボノボやチンパンジーのように) ヒトである調教師と (主に視覚的な形でのコミュニケーションを利用して) 交流するようになり、複雑な質問や要求に正しく応じる能力を示す動物もいたが、彼らでも、そしてもっとも単純な形であっても自ら問いを発することはできなかった。
ヒトの子供は統語構造を使い始める遥か前、彼らの発達段階のうち喃語期に (問うイントネーションを使うだけではあるが) 初めて物を問うことができるようになる。異なる文化に属する赤子はそれぞれの社会環境で母語を習得するが、地球上に存在する言語は例外なく―声調言語であれ、非声調言語であれ、抑揚言語であれ、アクセント言語であれ―一般疑問文には上昇調の「問うイントネーション」を使用する。この事実は問うイントネーションの普遍性の強い証明である。
他に言及しておくべきこととして、激しい喜びの任意の表現は話し手の言語や国籍にかかわらず、概して下降調で発音され、これもまた普遍的であるということがある。
(ぷひぃー。とん、とん。)
こんなんでましたー。
椋
鳥
°
□悶
カモメ、かもめ、鷗、点々々々々々々こんばんは。
(えーと、昨日の抜き書きに、居茶門之助付左衛門がうずうずうず。
「極端に限定された節構造を持ち、「太郎は結婚したと次郎は考えていると三郎は言った」といった入れ子状の再帰的な文は作れない。」とありまする。あの、まーんず、会話じゃーそんな再帰的なお話の仕方をするこたあ、あんまりありませぬよね。そうして次に、書きます文章にしましても、再帰を用いると文がむずかしうなりがちですので、基本的にゃーあんまりせぬ、せいぜい一次、いっても二次、くらいじゃーありますまいかー。すなわち、あんまり再帰的な文ゆうんは、会話にしても、文章にしましても、あんまりしませぬよねーゆう、ううーむ、こりゃー卓袱台(ちゃぶだい)どっかーんさーせんー。
あ、いま気づきましたが、最初の「極端に限定された節構造」ゆうんがポイントかも知れませぬね、とはいえ、わかりませぬ、想像もつきませぬー。
「ピダハン語は口笛にも鼻歌にもでき、音楽として記号化もできる。」て、地味にすんごいス、とは思えど、俺の想像力じゃーそっから先に進みませぬー。
やはり最後の段落がさっぱりわかり申さぬ。「エヴェレットは、この言語に再帰が無いことはチョムスキー言語学の根底を崩すものとなると主張」「チョムスキーを含め何人かの言語学者は、たとえピダハン語が再帰を欠くとしても、チョムスキーの理論には影響がないと論じている」。あああああー。)
(ぷひぃー。とん、とん。)
「カモメ」に近いよーな、「京」があるよーな。
(「むくどり」とさえ打てば、ぽちぽちうってしまへばっ。)
こんばんは。
ピダハン語 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
(※もーちろん続きっスーあざーす。)
(※て、おや、これはなかなかかも、ちょっくら紹介させてくだされ。)
概要
ムーラ小語族に属している……
↓
ムーラ語 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
ムーラ語(Mura language)はブラジルのアマゾンの言語である。方言の一つピダハン語で有名である。言語学的には膠着語であり、非常に少ない音素(英語が40に対しムーラ語が11)をもち、口笛音、声調をもつ。
19世紀には、30,000~60,000人のムーラ人がいたが、現在は8つの村で300人のピダハン人が存在するだけである。
(あ、あの、この事実にもびつくりですけれども、こうした事実をちゃんと調べて公にしているっちう事実もまた、びつくりですーははー。)
ピダハン語(訂正:以下の通り訂正しますー思いっきりまちげーたああー。)
言語の起源 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
コミュニケーション、音声、言語
(※もーちろん続きっスーあざーす。)
近年の論争
ダニエル・エヴェレットは20本以上に及ぶ論文と1冊の著書の中で、ピダハン語の特徴を次のように挙げている。
現在知られている限りでは最も少ない音素体系の言語の一つであり、それと対応して、非常に幅広い異音のバリエーションが見られる。その中には、非常に珍しい [ɺ͡ɺ̼] や [t͡ʙ̥] という音もある。
極端に限定された節構造を持ち、「太郎は結婚したと次郎は考えていると三郎は言った」といった入れ子状の再帰的な文は作れない。
明暗以外に、色を表す抽象的な語が存在しない。ただし、これについてはポール・ケイらによって、異議が唱えられている。
人称代名詞まるまる一式が、ニェエンガトゥ語(トゥピ語を基礎とする、かつて北ブラジルでリンガ・フランカであった言語)からの借用であるらしい。昔のピダハン語に関しては全く史料がないものの、形態の類似から考えると、この仮説は確度が高い。
ピダハン語は口笛にも鼻歌にもでき、音楽として記号化もできる。ダニエル・エヴェレットの元妻で言語学者のカレン・エヴェレット(以下、カレン)は、現在の言語研究は言語の韻律にはほとんど注目しないために、その意味を多く見逃していると考えている。もしかすると子音と母音はすべて省略でき、意味は音の高低やアクセントやリズムの変化によってのみで伝えられるかもしれない。カレンによれば、母親は子供に、同じ音楽的パターンを歌って言語を教えるという。
エヴェレットは、この言語に再帰が無いことはチョムスキー言語学の根底を崩すものとなると主張している。なお、チョムスキーを含め何人かの言語学者は、たとえピダハン語が再帰を欠くとしても、チョムスキーの理論には影響がないと論じている。
(うへえ。この言葉を音で聞いてみとうなりますのと、チョムスキー言語学なる説と何がどう対立していますのんか、てな感じでせうかー。)
(ぷひぃー。とん、とん。)