しょういち家頁

にゃーんも調べんと、


(書いてみます、ええ、あえてそうする、ゆうほうがいいってときもありますかなーとする例が、例年「今年の恵方の方角は南南東ですー」ゆうて教えてくれますが、毎年毎年「南南東」のような、必ず、かどうかはわかりませぬが、だいたいいつも常に、まあまあ南方向なんじゃありませぬかー、と。)


 こんばんは。


(さーせん、昨日分につき、本日はとくにこれといった申し上げたき件がありませぬで、と申しますのは、まったくもって仰せの通りですなーと思うばかりなのでありまして、ですんで、ええ、かといって新たなお話を始めますーゆうんも、あー、本日はご勘弁いただきまして、あ、そうだ、「節分(せつぶん)」は「節」を「分」けるのですね、春のはじまり「立春」の前の日、前日を指すといふのですね、いんやー、そして月がとりわけきれいっスー。)


(ぷひぃー。とん、とん。)

バナナ、もっしゃもっしゃ。


(あー、いつものように昨日分を俺なりの言葉で再解釈してみますと、「ジェスチャー」ゆう「身振り手振り」は、すなわち音と耳、口の動きと手の動きゆうんは、脳のなかの左っこのなかで使う部分が、お隣さん同士の仲良しさん。そしてチンパンジーが「バナナ、くだせえ」ゆうて手を差し出すポーズは、あなたや俺とおんなじ、類人猿共通。ぷひぃー。とん、とん。)


 こんばんは。


言語の起源 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
言語の起源の仮説
ジェスチャー理論(※つづきっス。)

ジェスチャー理論の重要な問題は、なぜ音声言語への移行が起こったのかである。さまざまな説明が提案された:

ヒトの祖先はどんどん多くの道具を使うようになっていった。それらの道具に手が占拠されたのでもはやジェスチャーを行う余裕がなくなった。

手でジェスチャーを行うには話し手と聞き手が互いに見合うことが要求される。例えば夜や、葉によって視界が遮られているときなど、多くの状況では視覚的なコンタクトを取らずにコミュニケーションを行う必要がある。

混成理論では、かつては言語のある部分はジェスチャーの形を、別の部分は音声による模倣 (「大騒ぎ」を模倣すること) の形をとっていたが、(類人猿やサルのそれのような) 全てのシグナルが本質的に認知される必要もあったために、ジェスチャーや音声といった様々な様相が統合された、とする。

この出来事において、複数の情報媒体はそれぞれ単に意図されている意味が明確になる必要があるだけでなくシグナルの信頼性において確信を抱かせる必要があった。一たびコミュニティー全体で契約上の合意が効力を持つだけでコミュニケーションの目的に対する信頼が自動的に当然視され、このことによって最終的にホモ・サピエンスは非常に能率的で、高速の―アナログではなくデジタルな―デフォルトの形式に移行しただろう、と提言されている。

音声的な互いに異なる形質 (音の差異) はこの目的にとって理想的なので、この時点で―本質的に説得力のある身体言語がもはやそれぞれのメッセージを伝えることを要求されなくなった時点で―手振りによるジェスチャーから現生人類のデジタルにコードされる「話される」言葉への根本的な信頼への決定的的な移行が生じている。


(ぷひぃー。とん、とん。)

するりと戻る俺っておしゃれだなあ。


言語の起源 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』
言語の起源の仮説
ジェスチャー理論

ジェスチャー理論では、簡素なコミュニケーションに使われたジェスチャーからヒトの言語が発展したとされる。


 こんばんは。


この理論は二種類の根拠によって支持されている。

1.ジェスチャーによる言語と音声による言語は同じ神経システムに依存している。大脳皮質の、口の運動を制御する領域と手の運動を制御する領域は互いに接している。

2.ヒト以外の霊長類は、少なくとも原始的なコミュニケーションにはジェスチャーや記号を使うことができる。また、彼らの使うジェスチャーのうちいくつかはヒトの物に似ている。例えば手をまっすぐ伸ばして行う「物乞いのポーズ」はヒトとチンパンジーが共有している。

音声言語と手話はどちらも同じ神経構造に依存しているという、この説を強く支持する証拠が研究により明らかになった。大脳左半球に障害を抱え、手話を使った患者は手話を使ううえで、発話に問題のある患者が音声言語を使う場合と同様の不具合を示した。手話を使うときと音声言語・書記言語を使うときとで大脳左半球の活動する領域に違いがないことが他の研究者により明らかになっている。


(ぷひぃー。とん、とん。   とん。)

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